エドワード・アタイアという人の小説。この人は推理小説が本業ではないらしい。またこの本も推理小説かといわれると微妙ではある。
しかし、非常に面白い。心理、各人の心の動き方がリアル。フィクションで書いたというより、実際の経験ではと思ってしまう。いや、経験していたとしても、普通は一般的な観念やイメージに知らず知らず脚色され、こんなリアルにはかけないと思う。殺人を犯したピーターが、罪の意識に徐々にとらわれていく過程が面白い。いや、罪の意識と一口に言えず、徐々に追われるものが変わっていく過程が見える。
最初は単に警察に、周囲にばれないかどうかが心配。いったんつかまりそうにないとなったら、次は周囲に秘密を抱えていることに耐えられなくなる。事件の話題が出るたびにしらを切るのがつらくなり、人に打ち明けたいという欲望に耐えられなくなる。結果、妻マーガレットと、被害者の夫ウォルターには順番に打ち明けてしまう。
まず妻のマーガレット。これは比較的普通な発想か。ただ自分は単純に、打ち明けられたら妻は夫を怖がってそこから確執になると思っていたが、彼女はむしろ受け入れ、協力して難局を乗り切ろうとする。彼女は苦しむ夫を不憫に思いつつ、もし発覚したら今の生活、子供の将来がめちゃくちゃになることを危惧して、夫に忘れるよう求める。この辺りは、男女差が出るところ。ピーターは男性的で、自身や家族の幸せというよりも、社会的な規範やうそをついているという事実を嫌がっており、それを回避しようというムーブ。一方マーガレットは、自分とその周囲の利益のみを重視し、罪を犯したことそれ自体にはほとんど気にしていないように見える。告白により、夫婦の仲は改善され、いい形になったように見える。
この告白の成功に安心したのか、次に被害者の妻にも打ち明ける。マーガレットは止めるが、ピーターは実行してしまう。ピーターからすると、友達に隠し事したままにしたくないという、あくまで自分本位、ルールベースな発想で、その結果彼がどのような気持ちになるかはあまり真剣に考えない。こういうところは非常に人間心理を正確、リアルに描いていると思う。
実際、ウォルターの方も冷静に受け取り、むしろ妻と同じようにピーターの身の心配をする。このリアクションは人にもよると思うが、ちょっと普通ではない気もする。ただ、よくよく考えると、そういうリアクションする人もいそうに思える。この辺りのキャラクターの動きが、この小説は本当にリアルだと思う。
この二人への告白で気持ちは軽くなるが、それでも日々の些細なことを自分への糾弾のように感じてしまい、最終的に哲学に救いを求める。具体的には、カントの普遍的立法の原則とかいうのも持ち出して自分の行動を理屈づけ、道徳的に正しいことをすべき、というある意味強迫観念に取りつかれ、自首しようとする。こうした抽象的な理屈にとらわれ、自分とその周囲ではなく、社会の目線で物事をとらえてしまうというのは男性的だと思う。別の言い方では、自分の責任ではなく、あくまで理論で行動するという責任回避なのかもしれない。
実際マーガレット目線ではそれは非合理的な行動でしかないので、なんとか止めようといろいろと試みる。後半1/5くらいは目線、主人公はマーガレットに変化している。
しかし結局、ピーターの行動を止められないと悟ったマーガレットは、ピーターを殺してしまう。これも警察としては自殺として処理され、結果殺人の件は表に出ず、マーガレットとしてはピーターを失ってしまったが、一部目的を達成できた形となった。半年ほどたった後に、こどもがニュースに対するコメントとして、「人殺しのこどもなんて、つらいよね」と無邪気に言い放つが、それに対しても罪悪感ではなく、達成感を感じて、話は終わりとなる。ピーターとの対比が著しく、上手な終わり方であると思う。実はマーガレットのこうした大胆さには布石があり、冒頭で飼い猫?がけがをしたときに、マーガレットはもう助からないからと自宅のオーブンで殺してしまう。最初これを見てびっくりしたが、読み終わってからはマーガレットの人間性描写として意味があったのだと感じる。
全体として、心理の描写が非常にリアルで、心が痛くなり読み進めるのに抵抗を感じるほど。推理小説としてではなく、一般の小説として名作だと思う。